「おい、チータ。これって酒か?」
夕飯の片付けが終わった頃、ロデュウが持ち出した赤いラベルの酒瓶を見て、彼女は眉を顰める。
「どこから見つけてきたの?」
「2階の物置だ」
彼の答えに、彼女は「あぁ」と納得して溜息を吐いた。
そこは、チータの母の寝室だった場所だ。母が家を出てからは、彼女の置いていった私物や、不用品などを仕舞う物置部屋となっていた。
「こんなもんがあるなら、早く出せよな」
云いながら、ロデュウはボトルの蓋を開けようとする。
「ちょっと、あなた未成年でしょ」
チータはボトルを取り上げようと手を伸ばすが、彼はそれを高く持ち上げて彼女の手を躱した。
「魔界では飲んでいい年なんだよ」
「……」
ロデュウの言い分に対し、チータは疑わしげな目を向けるが、止めても無駄だと判断して手を下ろす。
「飲んでもいいけど、程々にして。酔っぱらいの世話なんてしないから」
「人間の酒で、俺が酔いつぶれるかよ」
彼女の小言を鼻で笑って、彼は意気揚々とグラスを用意する。当然のように、テーブルの上に2つのグラスが並べられたのを見て、チータは戸惑った。
「私も飲むの?」
「なんだ、飲まねーのか?」
「……あんまり好きじゃないから」
「1杯くらい付き合えよ」
彼女の言葉を無視して、ロデュウは2つのグラスにそれぞれ酒を注ぎ、1つを彼女の前に差し出した。チータは仕方なくグラスを受け取り、それを無言で見下ろす。
実は、チータはこの透明な液体を飲んだことがなかった。元々このボトルは、チータの母の持ち物であり、彼女はこれを飲んでいる母の姿をあまり好きではなかった。かつて母と一緒に暮らしていた時の、酔いつぶれてテーブルに寄りかかる母の後ろ姿は、痛々しくて寂しそうで、彼女はいつも見ていられない思いをしていた。
そんな母のようになる事が嫌で、チータはずっと飲酒を避けてきた。
かと云って、ボトルの中身を捨てることも出来ず、持て余して物置に放って置いたものが、この透明な酒だった。
(まぁ、これもいい機会かもね……)
彼女はひとしきり悩んだ後、彼と飲んで無くせるなら、それが一番いいと思った。
「明日は納品に行かなきゃいけないから、私は少しだけにするわ」
*
日付が変わる頃、半分ほど入っていたボトルの中身は空になっていた。
テーブルの上の空のボトルを挟んでロデュウと反対側の椅子にチータは座り、頬を赤く染めてうつらうつらと船を漕いでいる。
「おい、明日は用事あるんだろ。ベッドに行って寝ろよ」
「うるさい」
見かねたロデュウが声をかけると、彼女は上ずった声を突き返した。
「みんな、うるさい……好き勝手に云って……」
チータは椅子の背もたれに寄り掛かり、俯いたままぶつぶつと呟いている。
「まぁ、分かってるわ……仕方ないのよね……私、こんなだし……」
脈絡なく陰気な言葉を呟き続ける彼女に、ロデュウはうんざりする。
チータの碧い目は完全に据わっていて、舌の呂律も回っていない。彼は、これはもう駄目だなと思った。明らかに飲み過ぎだ。
「なにが『酔っぱらいの世話はしない』だ。テメェが酔い潰れてんじゃねーか」
「……だって、初めて飲んだんだもの」
「お前っ……そういうことは先に言えよ」
通りでペースがおかしいと思ったと、ロデュウは呆れながらも納得する。見つけたボトルに入っていた酒はかなり度数の強いものだったが、彼女が平気そうな顔をして飲むので、てっきり人間もこのくらいは飲めるのかと思い、自分のグラスに注ぐついでに、次々と彼女のグラスに注いでしまっていた。
チータが自分のペースも分からずに飲んでいると知っていたら、そんなことはしなかったのにと、歯がゆい思いをする。
「どうでもいい。全部、うんざりだわ……」
そう呟いて、彼女は背もたれに身を預けながら瞼を閉じる。
「おい、寝るな!チータ!」
ロデュウはテーブル越しに呼びかけるが、彼女は返事をしない。座ったままがくりと首を前に倒し、その姿勢のまま動かなくなる。
「……」
そして、微かな寝息を立て始めた。寝てしまった彼女を、ロデュウは片肘を付いて忌々しげに睨みつける。
「……あー、クソっ、仕方ねぇな」
しばらくそうしていた彼は、悪態混じりに席を立った。テーブルを迂回してチータの隣に移動し、彼女を椅子から横抱きに抱えて立ち上がる。酔っているためか、彼女の体はいつもより熱かった。
寝室のある2階へ向かう階段の途中で、彼の腕の中で揺らされたチータが薄っすらと目を覚ます。
「ロデュウ……?」
「酔っ払いは黙ってろ」
冷淡に返事をした彼を、チータはぼんやりとした目で見上げる。
「貴方もこういうことするのね」
「……お前になにかあると困るのは俺だからな」
「そうね、私がパートナーだから……貴方はそういう奴よね」
そう云いながら、チータは彼の胸に頭を預けた。
寝室の扉の前までたどり着いたロデュウは、チータを抱えたまま扉を開けて中に入った。彼女をベッドへ横たえた後、視線を感じて枕元を一瞥すると、碧い瞳と目が合う。
チータの瞳は、月明かりの中で潜熱を秘めて揺らめいていた。それに引き寄せられるようにロデュウがベッドに片膝をつくと、ぎしりとマットレスの軋む音がした。
「酔っ払いに何する気?」
「世話してやったんだ、見返りはあっていいだろ」
「……悪い人」
自分に覆いかぶさるロデュウを見上げ、チータは目を細めて嘲るような視線を送る。
「お前は面倒な女だろうが」
彼は、彼女を見下ろしながらそう吐き捨てる。ロデュウの口ぶりを、彼女は鼻で笑った。
「貴方が悪人だから……こんな面倒なパートナーが付いたのかしら?」
「違うな」
ロデュウは彼女の耳元に顔を近づけ、低い声で囁く。
「お前も、悪人だからだ」
彼の言葉に、チータはまた、微かに笑った。
そうだ、と思った。
きっと、自分と彼の本性は同じで、だから彼の前ではこんな姿も晒していられる。
「ずっと、覚えていて」
チータは彼の後ろ首に手を回して、囁き返す。
触れた彼女の掌から、火照った体温が彼に伝わっていく。熱い掌が首筋をなぞって彼の頬に回り、彼の顔の向きを変えて、互いの口元を寄せていく。
「貴方にはきっと、全部を見せられるから―――」
*
「おい、起きろ!チータ!」
ぞんざいに体を揺すられて、彼女は目を覚ました。
カーテンを開けた窓から差し込む光が眩しすぎて、チータは片腕で目元を覆う。
「今日は用事があるんだろ、起きろよ」
「うるさい、わかってるわよ……」
ロデュウの声がやたらと頭に響いて、ずきずきと痛む。彼女はなんとか上体を起こして、床に両足を下ろしてベッドから立ち上がった。
ふらふらとおぼつかない足取りでクローゼットへ向かう。途中で姿見の前を通りかかった時、彼女は視界の端に鏡に映った自分の姿を捉え、驚いて立ち止まる。
「ちょっとこれ、どういうこと……?」
白い首筋から鎖骨周りにかけて、噛み跡と鬱血した赤い点がいくつも付いていた。
すぐに原因を察して、チータはベッド脇に立つロデュウを振り返って睨みつける。
「お前がやれっつったからやったんだろ」
彼女の険しい視線を受けて、彼は悪びれもせず応える。
「……私が?」
「あぁ」
ロデュウの応えに戸惑いながらも、チータは昨晩の自分の記憶を辿る。酒を飲み始めて、次第に意識がふわふわと漂うような感覚になり―――そこから先が、ぷっつりと欠落していた。
「……覚えてない」
記憶がないことに動揺する彼女を、ロデュウは意地悪く笑う。
「俺ははっきり覚えてるがな。お前が―――」
「やめて!」
チータは咄嗟に大きな声を出して、彼の言葉を遮った。
「酔い潰れた自分のことなんて、聞きたくないっ……」
動揺を振り切ろうとそう吐き捨てて、彼女はクローゼットから外出着を取り出して着替え始める。鏡を前にして、慌ただしく髪を手ぐしで整えていると、ロデュウが彼女の背後で未だにニヤニヤと笑っていることに気付く。
そんな彼を鏡越しに忌々しげに睨みつけ、彼女は二度と酒なんて口にしないと心に決めた。
身支度を終えたチータは無言で寝室を出て1階へ降り、作業台の上の雇用主に渡す品をひったくるように手にとって、足早に玄関に向かう。
そして家から出る前に、昨夜の跡を隠す為、いつもよりストールをきつく首に巻き付け、出掛けて行った。
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