「俺の父が、お前の都合のいい時を聞いて、夕飯に招けと言っている」
王を決める戦いが終わってから数ヶ月が経った頃だった。いつものように、学校の終わりにリオウと連れ立って歩いていたザルチムは、リオウからの突然の誘いに少々驚いた表情を見せる。
「お前の親が?」
「そうだ。俺が人間界で世話になった礼を言いたいそうだ」
「そんな、別いいのによ」
ザルチムからすれば、わざわざ息子の友人を夕飯に招いて息子が世話になった礼を言いたいなどと、大げさで堅苦しい感じがした。リオウは疑問に思わないのだろうかと、横を歩く彼の顔を見やるが、何でもない様子でザルチムの返事を待っているようだった。
(まぁ、思わないんだろうな)
リオウ自身、交友に関して浮世離れしたところがある。ザルチムは、この様子では親子共々そうなのだろうと思った。
「嫌なら断ってもらって構わない」
「いや、嫌とは言わねぇけど。まぁ、構わないぜ。特に予定もないし、いつでもいい」
「では、了承したということで伝える。父も喜ぶだろう」
つまりは友人の家に招かれたということだが、リオウの言い方ではなにか仰々しい。
「いつでもいいのなら、3日後とするぞ。忘れるなよ」
「おう」
ザルチムは短く返事をし、楽しみにしてるぜ、とまでは口にしなかった。
*
馬のような体躯と人型の上半身を持つ従者に案内され、ザルチムは客人用に用意された柔らかな敷物の上に胡座をかいて座る。
これが作法として正しいのか不安だったが、周りを見回しても真似のしようがない。この場にいる者達は、彼とは違って皆四本足の持ち主で、後ろ足を折り畳み前足の膝をついて座っている。皆一様に、正面に見える座るものの巨大さを物語る族長の座に向けて、恭しく首を垂れている。
(とんでもないところに来ちまったな)
友人の家に招かれたはずなのに、これではまるで謁見である。居心地の悪さに身じろぎしながら視線を泳がせると、族長の座の隣にリオウがいた。背筋を伸ばし、杖を携えてこの場の誰よりも緊張した面持ちで佇んでいる。威厳を保とうとしているのか、引き結んだ唇が却って余裕のなさを感じさせる。
(おいおい、大丈夫かよ)
今、傍に控える彼らとザルチムが待っている族長は、彼の父親のはずだ。ザルチムには、彼の強張った顔が父親を待っているようには見えなかった。
まもなくして、族長の座の背後の帳が従者によって持ち上げられた。
暗闇の中から金のたてがみが覗き、屈めた身を起こしたその姿は、見上げるほどに大きい。身につけた装飾品を揺らしながら、悠然と用意された座へ向かい、四本の足が伸びる体躯を横たえた。
「其方が、ザルチムか」
体の巨大さに見合った低い声が響く。
「人間界では、リオウが世話になったと聞いている。礼を申したい」
どう返すべきか迷うザルチムの返答を待たず、リオウの父は左右に控える一族の者達に気づき、疑問を口にした。
「なぜお主らもおるのだ」
跪いていたうちの一人である老齢の男が答える。
「リオウ様とご懇意であるご友人が来訪されると聞いて、ひとめお伺いしたく」
その返答にリオウの父は溜息をついて、男に対して鬱陶しそうに手を払った。
「あまり仰々しい席にするでない、客人が面食らうではないか」
ザルチムは、「アンタだけで十分に面食らっているのだが」と少し可笑しい気持ちがしたが、周囲には悟られないよう内心に留めた。
「夕餉に同席するのは、俺と妻とリオウのみだ。それ以外の同伴は許さぬ」
はっ、と畏まる老人達を一瞥し、リオウの父は改めてザルチムに向き直る。
「さて、リオウの友人よ」
地を這うような声で呼ばれ、再びザルチムに緊張が走る。
「あの戦いにおいて、望んでいた結果は得られなかったが、今宵はリオウに力添えした其方に礼をしたいのだ」
「夕餉までの時間、しばし寛がれよ」
*
「まったく、ビビったぜ」
格式張った場から解放されたザルチムは、首を回してぼきぼきと音を鳴らす。リオウの家は堅苦しいのだろうとは予測していたものの、あの場の空気はそれを軽く上回っていた。
「ああいう場にはするなと言ったのだが、誰も聞かなくてな。すまなかった」
その隣を歩くリオウも、緊張が解けた様子だ。彼が軽い調子で謝罪したのを聞いて、ザルチムは「こいつも、随分と険が取れたな」と感慨深くなる。以前のリオウであれば、余程のことがないかぎり謝罪など口にしない。
「あの、傍にいた奴らはなんだ?」
「各家の長達だ。俺の一族は、いくつかの家に別れて長を決め、一家の者をまとめる。その長達を束ねるのが我が父だ」
「ああ、そういうのか」
種族ごとにまとまって暮らす魔物は、それぞれ違う文化の中で生活する。体の姿形が様々であるように、種族毎に文化圏、集団単位に大きな違いがあった。ザルチムはああいう部族単位に縦社会を築く生活をよく知らないが、リオウとの会話に困らない程度の理解さえしておけば十分だと思っていた。今日、リオウの種族社会に触れ、予想以上のギャップに戸惑っていた。
「ああいう場には馴れねぇな」
「俺も、未だに父の隣は緊張する」
リオウの言葉に、ザルチムはあの巨大な父親の姿を思い出した。同情というより、当然だという思いで彼に共感する。
人間界にいた頃、王の座に固執したリオウは自身の命を危険に晒し、手段を選ばぬほどに追い込まれていた。ファウードの使用も本来は禁忌であったろうし、それほどまでに彼に期待をかけた一族が、王になれなかったリオウをどう扱うのか、ザルチムは密かに心配していた。
だが先ほどの様子をみて、若干的外れではあるものの、息子の友人を歓迎しようという親心を感じないではなかった。彼としては、そこに安堵していた。
「あんまり立派な親父を持つと、大変だな」
「それは俺が不甲斐ないせいだ。王の座は逃したが、次の族長は俺なのだ。父と母に恥じぬ長に、俺は成らなければならん」
息巻くリオウに、ザルチムは半ば呆れる。
(こいつはもう少し、肩の力を抜いて生きれないもんかね)
「……まぁ、ほどほどに頑張れよ」
友人の隣を歩きながら、ザルチムはこいつも大人になる頃にはあの父親と同じくらい大きくなるのだろうかなどと考えた。
「で、これは何処に向かってるんだ?」
彼は今、夕飯に呼ばれるまでの時間つぶしに見せたいものがあるとリオウに連れられ、薄暗い洞窟を歩いている最中であった。荒く削られた壁と天井に、地面だけは石のタイルが敷き詰められ、歩きやすく舗装されている。
「見ればわかる」
リオウにそう返され黙って歩くうちに、石の道を抜けて開けた場所に出た。しかしそこは屋外ではなく、岩壁に囲まれた広大な空洞であった。
「ここは、かつてファウードが封印されていた場所だ」
巨大な山の頂上から真下に向けて、円柱状にくり抜かれた空間の底にザルチム達は立っていた。上を見上げると、遥か先に丸く切り取られた夕暮れの空が覗いている。
「………でかいな」
空を見上げたザルチムは、思わずそう呟いた。今は何もない空間であっても、何者をも凌駕する強大な存在感が、ここには残っている。人間界でファウードの封印を解くために、リオウと奔走していた頃に感じた興奮が、彼の中で蘇っていた。空間を満たす異質な雰囲気に、彼は圧倒されていた。
「俺のくだらぬミスで、全てを不意にしてしまったな」
ザルチムの隣で、リオウがふと言葉を洩らす。
それは、心の中にしまっていたものが不意にこぼれ出たような声だった。その無防備な響きに、ザルチムは横に立つリオウへ振り向く。穴の底に僅かに差し込む夕日が黄金の鬣に反射して、わずかに俯く横顔には濃い影が落ちている。
「俺は楽しかったぜ」
その横顔に向けて、ザルチムは心に浮かんだままの言葉をあえて口にした。
「お前に手を貸したことを、後悔していない」
昔のリオウであれば、ザルチムがどう思っていようが、そんなものは自分には関係が無いと返すだろう。
けれど、今の自分たちの関係は、こういうことを軸にして互いに語りかけることも許されるはずだと、ザルチムは胸の内でそう考えていた。
(だってよ、リオウ)
俺は、お前の「ご友人」なんだろ。
「そうか」
彼を振り返ったリオウは、そう答えた後軽く俯いて、返す言葉を探しているようだった。戸惑っている様子はなく、ザルチムの言葉を受け止め、自分は何を言うべきかを考えている。
彼が迷っている内に、足早に駆ける蹄の音が近づき、彼らの歩いた洞窟からリオウの従者が現れた。
「リオウ様、ご支度が整いました」
「わかった、今いく」
顔を上げたリオウは、先導する従者の後を追って歩き出す。ザルチムもそれに習い、来た道を戻り始める。
「ザルチム」
洞窟を半ばまで来た頃、唐突にリオウは友人の名前を呼んだ。
「今日は父がお前に礼をしたいということで呼んだが」
歩みを止めないまま話を続けるので、ザルチムも立ち止まることなく黙って彼の話を聞いていた。
「俺もお前には礼が言いたいと思っていた。お前が今でも俺の隣にいてくれることに、感謝している」
あまりに直球な言葉に、ザルチムは吹き出した。やりとりを聞いていたのか、前を歩く従者がちらりと二人を振り向く。
(小っ恥ずかしいことを平気で言う奴だ!)
従者の視線を受けて、ザルチムは咳払いで恥ずかしさを誤魔化しながら、隣を歩くリオウの顔を見やる。言った本人はなんともない様子で、取り乱す彼を不思議そうに見ていた。やはりこいつはズレているな、とザルチムはさらに可笑しくなる。
「そーかい、そりゃよかった」
両手をポケットに突っ込んで背中を丸め、ヒヒッ、といつもの含み笑いを浮かべる。
彼がまさかここまで心をむき出しにしてくるとは思わなかった。嬉しいような気もするが、気恥ずかしさが勝って、まともに彼の顔を見られない。
それからしばらく無言で歩いて、二人と従者は洞窟を抜けた。すでに日は暮れていて、暗闇の中を灯りのついた家屋に向かう内、遠目にあの巨大な父親の姿を見た。
ザルチムは、今は同じような背丈のリオウが、いつか自分の背を遥かに超えてあの父親ほどに大きくなる時も、自分はきっとリオウの隣に居ようとするのだろうと思った。
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