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空を飛ぶ獏

 気づけば、薄暗い部屋に彼女は立っていた。
 すぐに彼女は、これは夢だと悟る。いままで何度も見た夢だ。これからどうなるのかも、彼女はすべて知っている。それなのに、じわじわと恐怖が湧き上がるのを抑えられない。
 体は指一本思う通りに動かせず、それもいつものことなのに、叫び出したい程に恐ろしい。なにかに助けを求めたくて、ある男の名が心に浮かぶ。
(やめろ……!)
 彼女は必死に、その男のことを頭の中から打ち消そうとする。
 彼は、現実でも夢でも、彼女をここから助け出してくれたことはなかった。これは、そういう悪夢なのだ。
 彼女がなんとか心を鎮めようと、これは夢なのだと自分に言い聞かせていると、薄暗い部屋の奥から、ぎぃ、と床板を踏みしめる音がした。その音を聞いた瞬間、これから起こるであろう出来事への恐怖で、彼女の心が凍りつく。
 そして―――
 

 *

 新月の夜、ロデュウはダイニングテーブルに片肘をついて、退屈な時間を過ごしていた。
 壁に掛かっている時計を見上げると、時刻は深夜2時を回った頃で彼は残りの夜の長さにうんざりする。
 人間と魔物では睡眠のリズムが大きく違っている為、チータの生活サイクルに合わせると彼はこうした暇を持て余した夜を何度も過ごすことになる。退屈しのぎに空を飛ぼうにも、深夜の田舎町は星の明かり程度しか灯っておらず、暗闇に変わり映えのしない景色が広がっているばかりだ。
 それでもまだ、室内でじっとしているよりはマシだと思い、そろそろ出掛けようかと考えている時だった。
 突然、深夜の静寂を切り裂く絶叫が響いた。
「なんだ……!?」
 確かにこの家の2階から聞こえた叫び声に、ロデュウは即座に彼女の寝室へ向かい、扉を開け電灯を点ける。
 そこには、ベッドの上で喉が切り裂けんばかりの声を上げるチータの姿があった。毛布を跳ね除け、両手を振り乱しながらシーツの上をのたうち回っている。
「なっ……!?」
 明らかに正気ではない彼女の様子にロデュウは一瞬たじろいだが、すぐに彼女の肩を掴み、身を起こして揺さぶろうとする。
「どうした!?チータ!?」
 彼女は、彼の手を振り払って突き飛ばす。明らかに普段の彼女以上の力が出ていて、ロデュウは不意をつかれた。しかし、当然ながらその勢いで倒れたのはチータの方だった。
 そのままベッドに横倒しになり、胎児のような身を縮めた姿勢になる。絶叫は呻き声に変わり、彼女は自身の顔の傷に両手の爪を立て始めた。まるで、傷跡を剥がしてしまおうとしているかのように、指先に全力を込め、盛り上がった皮膚を今にも突き破りそうなほどに、爪を食い込ませている。
「やめろ!」
 ロデュウは咄嗟に彼女の両手首を掴み上げ、ベッドに抑え込む。チータは片目を固く閉じ髪を振り乱しながら、彼の拘束を振りほどこうと暴れるが、力の差は歴然としていて、両腕はびくともしない。
「おい!チータ!チータ!!」
 尚も暴れる彼女を抑え込みながら何度も呼びかけ続けると、ふっと抵抗が止んで、彼女が目を開けた。
 おさまったのかと、ロデュウはチータを呼びながら、蒼白になった彼女の顔を覗き込む。
 見開かれた彼女の碧い眼は、あまりにも虚ろで、何も見ていないような瞳だった。瞬きもせずに虚空を見つめ、その目の端から一筋の涙が溢れている。そして、血の気の引いた彼女の唇が僅かに動いて、微かに声を発した。
「―――」
 彼は数秒を要して、それが彼女の住む地域の男の名だと気付く。
 その瞬間に、彼の中で形容し難い不愉快さが湧き上がった。むかむかと腹が立ち、彼女の両腕を抑えた手に無意識に力が込もる。
「…………痛い」
 先程とは打って変わった静寂の中、ぽつりとチータの声が響いた。その声にはっとしてロデュウが顔を上げると、先程の虚ろな目ではなく、正気を取り戻した様子の彼女が彼を見上げていた。
「離して」
 チータに言われ、ロデュウは彼女の両手首を掴んでいた手を離す。彼女の手首には、彼が掴んで鬱血した跡が、はっきりと残っていた。
 チータは起き上がって顔の傷を触る。そこに出血が無いことを確認し、床に落ちた毛布を見て状況を察したようだった。
「お前がこんなにイカれてるとは思わなかったぜ」
「……ごめんなさい」
 手首の痣をさすりながら、それに対しては文句を言わず謝罪だけを口にする。彼が彼女の自傷行為を防いだことも理解しているようだった。
 ようやく落ち着いたらしいチータに、ロデュウは大きく溜息を吐いた。先程、ベッドへ彼女を抑え込んだときの、女特有の柔らかい体の感触が妙に肌に残っていた。彼女の寝室に入ったのも今回が初めてで、そのせいかさっきまで異常な状況にあったにも関わらず、変に彼女を意識してしまう。
 気まずい沈黙の中、迷惑を掛けたのだという自覚からか、チータがおずおずと口を開いた。
「寝ているときに、たまに“ああいうふう“になるみたいで……」
「……そうかよ」
「今日、貴方は起きてるのよね?」
「あぁ」
「じゃあ、私も起きてるわ。こういう日は、どうせ眠れないし」

 その後、彼が部屋を出るのにチータも付いていき、1階のダイニングに降りた。
 彼女がコーヒーを淹れたり、暇つぶしにと本を持ってきて彼に差し出したりしたが、二人の間にほとんど会話はなく、ほぼ無言で過ごしているうちに夜が明けた。朝日に気づいたロデュウが、退屈そうにパラパラと捲っていた本から顔を上げると、向かいの椅子に座っていたチータは、いつの間にかテーブルに突っ伏して寝ていた。
 肩を揺すってみても起きる気配はない。まるで気絶しているかのように、深く眠っている。昨夜の出来事がまるで嘘のような、穏やかな寝顔だった。
「結局寝てんじゃねぇか」
 彼は不満げに呟く。
「あー、めんどくせ……」
 椅子の背にもたれて、天井を仰ぐ。彼女の口ぶりからすると、昨夜のような出来事はこれからも起こるということで、毎度ああやって止めなければならないのかと思うと彼は暗澹あんたんたる気持ちになってくる。
 そしてなにより、あの虚ろな目でチータが口にした男の名が、ずっと心に引っかかっていた。それが一体誰なのか、大体の見当はついている。あの混乱状態の中で、なぜ彼女がその男の名前を呼んだのかを考えると、ロデュウは無性に苛ついて仕方がなかった。

 彼は立ち上がって玄関へ向かう。なにかに当たり散らして、この鬱憤を晴らさなければやっていられない気持ちだった。家を出る直前に、一度チータの方を見やる。丸められた背中が、呼吸に合わせて僅かに上下している。
『―――』
 チータの後ろ姿に、あの男の名を呼んだ細い声を再び思い出し、湧き上がる不愉快さに任せて、彼は乱暴に玄関の扉を閉めた。
 そして朝日の中、翼を広げて飛び立っていった。

 朝の街の中心部は市場が立ち、買い物客で賑わっていた。田舎町とはいえ、この時間帯はそれなりの人出になる。その人混みの中を、一人の男が歩いている。
 長い黒髪の長身の男で、全身から剣呑な雰囲気を放っているその男と、人々は目を合わせないように、男の進路を遮らないように避けて歩く。町の誰もが、突然やってきたこの余所者の粗暴さと手に負えなさを知っていて、出来るだけ関わり合いにならないよう振る舞っていた。
(あいつは、こんな奴らのなにを気にしてんだ?)
 ロデュウは、自分を避けて道の端に寄る人々を見て、家に置いてきた同居人を思い、抱えていた苛立ちが一層強くなる。
 自分より異質である、弱い者であるという理由で他人を踏みつけにする者は、裏を返せば一度力を示せば大人しくなる。こんなにも簡単なことなのに、なぜあいつはそれに気付こうともしないのか。

 あまつさえ、自分を侮辱した者に対して未だ心を寄せているのだ。なぜ悪夢の中で助けを求める相手が、自分を切り捨てた者なのか。或いは、切り捨てられたからこそ悪夢を見続けているのか。
(くそっ、あの腑抜けが!)
 腹立ち紛れに、道の端に置いてあったバケツを蹴り飛ばす。弾き飛ばされたアルミ製の容器は大きく凹み空に浮いて、騒々しい音を立てながら道を転がった。
その音に紛れて、ある男の名が聞こえた。
「おーい、―――!」
 背後から聞こえたその声に、ロデュウは即座に反応して振り返る。それは、昨夜あのか細い声が呼んだ名前だった。呼ばれたらしい男が返事をして、声の主の方へ駆け寄っていくのが見えた。黒い癖毛の青年だった。
 ロデュウの視線に最初に気づいたのは、呼んだ男の方だった。彼と目があった瞬間に、彼の鋭い視線に顔を強張らせて、「しまった」とでも言っているような表情になる。友人の怯えた様子に気づいた癖毛の男が、友人の視線の先を追い、ロデュウの存在に気付く。その瞬間に、彼はロデュウとは反対の方向に踵を返して、全力疾走で逃げ出した。
「待てお前!」
 ロデュウは反射的に逃げる男を追いかけた。男は行く手を阻む通行人を押しのけながら、必死に人混みの中を進む。市場を抜け、まだ人がまばらな通りに出て、家々の間の路地に逃げ込む。薄暗い路地に彼が数歩踏み込んだ時、背後から伸びた手に右腕を掴まれた。
 男の右腕を掴んだ手は、凄まじい力で力任せに彼を壁に叩きつけた。背中と後頭部をレンガの壁にしたたかに打ち付け、男はその場に崩れ落ちた。
「いっ……てぇ……!」
 後頭部を手で押さえて、壁を背に座り込む。その男の前に、叩きつけた張本人であるロデュウが立ちはだかった。
「お前が、―――か?」
 ロデュウの問いに、男はびくりと体を震わせて、自分を見下ろす恐ろしい男を見上げる。
「な、なんなんだよ……チータになんか言われて来たのかよ!?」
「はぁ?ちげーよ」
「じゃあ、なんで俺を追いかけんだよ!俺は、あいつとは……チータとは完全に切れてるんだよ!もうなんにも関係ねぇって!」
 男はひどく怯えた様子で喚き立てる。
「お前を追いかけたのは、お前が逃げたからだ。特に理由はねぇ」
「は、はぁ……?」
 あまりの理不尽さに、彼は困惑する。それでは猫が本能で動く獲物を追いかけるようなものではないかと、この男の不可解さに不安を募らせる。
「本当に、チータからなにか言われたとか、そういうのじゃないんだな?アイツは、もう俺のことは気にしてないんだな?」
 男がまくし立てるのを見下ろしていたロデュウは、また苛立ちを募らせていく。男の必死な様に最初は胸のすく思いだったが、男の口から彼女の名前が何度も呼び慣れた調子で出てくることが段々と気に食わなくなってきた。
「うるせぇな。もう、黙れ」
 云いながら、男に目線を合わせるようにしゃがみこみ、男の顎を鷲掴みにして口を閉じさせる。男は短い呻き声を上げ、無理やり噛み合わせられた歯ががちんと鳴った。
「安心しろよ。チータはなぁ、もうてめぇのことなんて気にしてねーんだよ」
 男の頭を左右に揺らして煽り、地面に投げ捨てる。男は地べたに投げ出され、手をついた先で砂利が鳴った。顔を上げてロデュウを憎々しげに見上げるが、その目にはやはり怯えがあり、反撃してくる気配はない。
(はっ、こいつも腰抜けか)
 ロデュウは男を一瞥して立ち上がり、その路地を出た。元来た道に戻り、もう特に行く場所も無いので、この世界での仮住まいへと帰ることにした。
 八つ当たりの相手は丁度良く見つかったものの、気が晴れたかというと、とてもそうとは言い難かった。虫の居所は相変わらず悪いままだ。
 持て余した感情の行き場がないまま、彼は帰路についた。

 ダイニングテーブルに突っ伏して寝ていたチータは、玄関の扉が開く音で目を覚ました。
 寝起きでまだはっきりとしない意識の中、彼女は自分が寝てしまっていたことを不思議に思う。
(あの夢を見た夜に、眠れたことなんて無いのに)
 彼女は、ロデュウが起こしてくれたからだろうか、と考える。いつも無意識に傷跡の上を爪で傷つけてしまうのも、彼が防いでくれたのだ。
 ぼんやりとした目をこすりながら振り返ると、今しがた帰ってきたばかりのロデュウと目が合った。
「どこか行ってたの?」
「別に、なんでもねぇよ」
 明らかに不機嫌そうな彼に、彼女は昨晩迷惑を掛けたことがそんなに気に食わなかったのだろうかと思った。謝るべきだろうか、と彼女が迷っているうちに、ロデュウが意地の悪い笑みを浮かべて話し始めた。
「ああ、そういえば町でアイツに会った」
「……誰?」
 ロデュウが口にした名前を聞いて、彼女は驚く。
 今まで、別れた彼についてロデュウに話す事はあっても名前を教えた覚えはなかった。
「どうして、彼の名前……?」
「昨晩お前が呼んでただろうが、覚えてねぇのか」
 チータにその記憶はなかったが、ロデュウが実際にあの男の名前を知っているということは、彼の言う通りなのだろうと彼女は察した。
「まったくよ、未練ったらしすぎて呆れるぜ」
 嫌味っぽく吐き捨てるロデュウに、チータは何も言い返せず押し黙る。
 あの悪夢の理由は未練なのだろうか、と問われれば、彼女自身も分からない。その可能性は否定も肯定もできない。
 一方で、ロデュウの不機嫌の理由はそれなのだろうかという疑問を持った。
「会ったって……彼に何かしたの?」
「……別に、何もしてねえよ」
「嘘ね」
 彼女にあれこれ言われるのが面倒で吐いた嘘を一瞬で見抜かれ、彼は思わず顔をしかめる。
 チータは椅子から立ち上がり、ロデュウに向き合う。
「彼のことは放って置いて。もう余計なことしないで」
 チータの男を庇うような態度に、ロデュウは低い声で返して威圧する。
「俺に指図するな」
 お互いに鋭い目線で睨み合い、険悪な雰囲気が漂い始める。
「昨晩のことがそんなに気に触ったの?それは悪かったと思うけど、関係ない彼に八つ当たりするのは止めて」
「関係ない?じゃあ、なんでお前はあの時アイツの名前を呼んだんだ?」
 ロデュウの指摘に、チータは一度言葉に詰まる。
 彼が怒っている理由が、いまいち分からない。彼女の未練たらしさに呆れたと云っていたが、それだけでこれほどまでに不機嫌になるものだろうか。
 疑問を抱えつつも、なんとかロデュウの憤りの矛先を逸らそうと、彼に反論する。
「彼を痛めつけてどうなるの?私のアレが治るっていうの?」
「そんな事、俺が知るか!」
 怒鳴り声が、部屋中に響き渡る。
 ロデュウは血の上った頭で、あの男が彼を前にして、必死にチータと自分は関係ないと喚き散らしていたのを思い出す。この事実をあの男を庇っているつもりらしいチータに伝えて、彼女がどれだけ滑稽で馬鹿馬鹿しいことをしているのか、突きつけてやろうかと思った。しかし、それでチータがショックを受けたとして、その様子を見るのも余計に腹が立つ気がして、云う気が失せる。
「イカれたお前を止めてやったのは誰だ?その憂さ晴らしに何しようが俺の勝手だ!」
 昨晩の事を持ち出されて、負い目を感じているのか、チータは再び押し黙る。
 うつむいて、しばらく眉根を寄せて必死に考えるような素振りをした後、絞り出すような声で呟いた。
「それなら……私の方でなんとかするから、彼には何もしないで」
 チータの言葉を、ロデュウは鼻で笑う。
「なんとかするって、なにをだよ?何が出来んだよお前に」
「それは……」
「もう昨晩みたいなことは起こさない、とか言うんじゃないだろうな」
「……」
 それが、彼女にとって不可能であることは明白だった。チータはもう何も言い返して来なかったが、何かを言いたげな顔で佇んでいる。ロデュウは、彼女を黙り込ませるまで追い詰めたと感じ、これ以上の抵抗を諦めさせるためのもうひと押しを思案する。
 そして、ふと思いついた言葉を彼女に浴びせた。
「それともあれか?『気晴らしに抱かせろ』って言ったら抱かせてくれんのか?」
 明確な悪意のある要求に驚いてか、チータは俯いていた顔を上げて訝しげな表情をした。彼女が動揺しているのだと思ったロデュウは、内心で「ざまあみろ」と呟いた。
 強情な彼女も、もうこれ以上は食い下がってこないだろう。これでうんざりするような言い争いにやっとケリを付けられると、彼がもう一言吐き捨てて会話を終わらせようとした時だった。
「良いわ、そうしましょう」
 はっきりとした声音で発せられた彼女の返答に、ロデュウは耳を疑う。
「あぁ?」
「私を抱いて気が済むなら、そうして」
 耳を打つ言葉の異常さとチータの平然とした口調の落差に、彼は一瞬戸惑うが、そんな彼女の態度に段々と腹立たしさが込み上げる。ロデュウは彼女との距離を詰めて見下ろし、顔を近づけ碧い瞳を睨みつけた。
「あんまり俺を舐めるなよ、ビビって手が出せないとでも思ったか?」
「私は本気よ」
 チータの瞳は、真っ直ぐと彼を見つめ返してくる。その瞳には、虚勢や怒りといった色はなく、ただ平静とした湖面のようなあおがあるだけだ。異常とも思える彼女の落ち着き方に、彼は訝しげな表情をする。

 その一瞬の間に、チータは背伸びをして首を傾け、ロデュウの唇に自分の唇を重ねた。
「!?」
 彼女のあまりに予想外な行動に、ロデュウは思わず身を引きそうになるが、動揺を感じ取られまいとして、それに耐えた。
 唇を重ねながら、つま先立ちをして不安定な姿勢のチータは、その身を支えるためにロデュウの腹部に手を添える。彼は、その彼女の手のひらを妙に熱く感じて、その熱が自分に移り、体温が上がっていくような感覚を覚えた。

 互いの鼓動さえも聞こえてきそうな静寂に部屋が満たされた頃、チータはそっと唇を離した。その際に、挑発するように舌を差し出して、彼の唇に僅かに触れた。
 そしてロデュウを見上げたまま床に踵を下ろして、落ち着き払った態度で彼に云う。
「貴方は本気じゃなかった?ただの虚仮威しだったの?」
 呆気にとられていた彼は我に返り、チータの煽るような言動にカッとなって彼女の顎を掴み上げる。すかさず首を擡げ、今度は彼の方から口づけをした。
 チータの触れるだけの口づけとは違う、乱暴なキスだった。ロデュウは彼女の口内に強引に舌を差し入れて、深く貪るように唇を食む。
「ぁ、んっ……はっ……」
 息継ぎに困ったチータが、口づけの合間に息を乱す。聞いたこともない、彼女の濃艷な吐息に、ロデュウは体の奥が疼くのを感じた。顔の角度を変えると、彼女の体が頼りなさげに揺れるので、彼は彼女の腰に腕を回して、抱き寄せて支える。
 彼女の匂いが、今まで無いほどに近い。触れ合う彼女の体に、今まで空を飛ぶ為に抱き上げたときには意識していなかった、彼女の柔らかさに気付く。
 煽られた勢いで始めた行為にロデュウが夢中になり始めた頃、チータが彼の両肩を手で押して、唇を離した。離れた舌先同士に、唾液の糸が伝っている。頬を紅潮させ熱に浮かされたような目をしたチータは、普段の姿とあまりにもかけ離れていて、彼の劣情を誘った。
 熱のこもった息を吐きながら、声だけは平然としたいつもの調子で、彼女はロデュウに囁いた。
「2階に行きましょう」

 チータの寝室は、彼女の匂いで満ちていた。彼女に手を引かれ、ベッドに二人で倒れ込んだ時、その匂いは一層強くなり彼の鼻腔を妖しくくすぐった。ロデュウは彼女に覆いかぶさり、昨晩悪夢にうなされていた彼女を抑え込んだときと同じ姿勢になる。チータは昨晩とはまるで違って、はっきりと正気の目をしているのに、一方でロデュウはあの時以上に混乱していた。

 この状況は狂っている。そう思ってはいても、彼女にキスで煽られ、挑発的な言葉を浴びせられて、ロデュウは自分からは引くことが出来なくなっていた。
(このまま進めるのは、絶対にまずい……)
 こんな形で関係を持ってしまえば、パートナーとしての関係に致命的な傷を残すかもしれない。そう分かってはいるのに、彼の頬に手を添えて引き寄せ、再び口づけに誘う彼女に、彼は逆らえない。
「う、んっ……はぁ……」
 唇が触れ合った後、今度は彼女の方から舌を絡めて来た。粘膜が擦れ合う快感と、湿った彼女の吐息に、このまま彼女を抱いてしまいたいという欲望が、彼の中で首をもたげてくる。
 このまま進めてしまいたいという欲望と、どうすればこの行為を止められるのかという思いの板挟みになり、ロデュウは煩悶する。
「んんっ……!」
 不意に服の上から強く胸を鷲掴みにされたチータが、くぐもった声を上げる。彼女の胸に乱暴に触れた彼の手は、無遠慮に動き、彼女の胸をもみくちゃにする。

 チータから拒絶の言葉を引き出せば、この行為を止められると彼は思った。いくら平静を装っても、不本意な相手に触れられるのには限界があるはずだ。できる限り乱暴に事を進めて、彼女が嫌がるように仕向けるつもりだった。

 ロデュウは、顔をしかめる彼女の耳元へ、冷たい声音で囁く。
「服を脱げ」
 息を乱しながら、彼女は言われたとおりに寝間着代わりにしているワンピースのボタンを外し始める。そのボタンを外す指先には震えもなく、ただ淡々と作業をしているかのような手付きだった。ボタンをすべて外し終わった後、上体を起こしてワンピースの裾をたくし上げ、肩の上まで引き上げて、それを脱いだ。
 薄い下着だけの姿になったチータを、ロデュウは再びベッドに横たえ、露出した素足を撫で始める。膝下から太もも、足の付け根へと手を滑らせ、彼女の下着に指を掛けてその中に指を差し入れる。柔らかな秘部を指でまさぐり、そこにある芽を見つけて、それを指先で摘んだ。
「ぁんっ……!」
 思わず声を上げたチータが、咄嗟に口を両手で抑える。
 嬌声を聞かれるのは嫌なのか、と訝しんだロデュウは、空いていた片手で彼女の口元に添えられた両手をまとめて掴み上げ、彼女の頭上に抑え込む。彼とチータでは手の大きさが違いすぎて、彼の片手に彼女の両手が収まってしまう。
「なにをっ……!」
「どうした、やめるか?」
 拘束されたことに抵抗しようとしたチータに、ロデュウは低い声で問いかける。
「……続けて」
 彼女は彼から顔をそらし、強く言い放つ。
(この強情女が……!)
 ロデュウは内心で毒づく。それなら容赦はしないと、彼女の秘部の芽を指先で撫で、こね回す。
「あっ!んんっ……!」
 与えられる強い刺激に、チータは必死に口を噤んで嬌声を噛み殺すが、それでもいくらか声が漏れ出ている。快感から逃げようと身を捩らせて、頬を染め必死に耐えているチータの扇情的な姿に、ロデュウは焦りを感じる。
(まずいな……)
 既に彼のものは固く昂り、スボンの布地を窮屈そうに押し上げている。執拗に秘部を責めても、チータは声を漏らしながら身を捩るばかりで、降参しそうにない。
 早く彼女から拒絶の言葉を引き出さなければ、自分が止まらなくなるような気がして、ロデュウはより強引な手に出ることにした。

 ふと、チータを責めるロデュウの手が止まり、彼女の両手の拘束が解かれた。彼女は、荒い呼吸に胸を上下させながら、両手を顔の横に投げ出してぼんやりと天井を見つめる。
「おい、こっち向け」
 チータの枕元に移動したロデュウが、彼女に低い声を掛ける。彼の方を向き直ったチータの目前に、衣服を解いてむき出しになった、彼の昂った屹立が突き出されていた。
「口を開けろ」
 言いながら、ロデュウは彼女の反応を注視する。
 チータは目の前に差し出されたものをぼんやり見つめたかと思うと、首を傾けてそれに向けて舌を伸ばし、先端に口を付けた。
(こいつ!?……マジか……!)
 絶対に拒絶されるだろうと思っていた行為を受け入れられ、ロデュウは内心で狼狽える。 チータはそんな彼を余所に、先端に付けた唇を進め、ゆっくりと茎を咥えていく。
「はっ……うぅ……」
 生暖かい体温に包まれていく快感に、ロデュウは息を乱す。チータの予想もしなかった行為に驚きながらも、中心に与えられる刺激に我慢が出来ず、彼は思わず彼女の頭を両手で抱え込み、強引に腰を押し進めた。
「んんっ、ぅ……!」
 喉奥に先端が当たったのか、チータが苦しげな声を上げる。ロデュウは一瞬躊躇いながらも、彼女の頭を固定したまま、ゆっくりと腰を動かし始めた。
「んっ、ふっ……んんっ……!」
 チータはくぐもった声を漏らす。
 普段すました顔のチータの唇に男の性器が入り込んで、唾に濡れながら出し入れを繰り返している。あまりに淫猥な光景を見せつけられて、ロデュウは理性が飛びそうになる。そんな彼を更に煽るように、彼女の舌が彼の裏筋をより強く擦り上げ、絡みついてくる。
(あぁっ……くそっ……!)
 完全にチータの思う通りにことが運んでいるのだと、彼は気付いた。それなら遠慮は要らないと、彼は彼女の温かい口内に性器を繰り返し擦り付ける。ぐちゅぐちゅと、唾液が混ぜられる音が響き、彼の下肢に段々と熱が集まっていく。
 射精の前兆を感じ取った彼は、このまま出してしまいたいという欲望と、それは流石にまずいと躊躇する思いに、葛藤する。
 チータの口内を自分の精で汚してやりたい。
 その考えに、ロデュウはたまらなく惹かれた。彼は迷いに迷った後、射精の直前に彼女の口内から性器を引き抜いた。
「うっ、あぁ……!」
 引き抜いたものを手で支え、ぬるい液体が飛び散る。彼の背筋から全身へと快感が走った。飛び散った白濁は、チータの鎖骨から胸のあたりに掛かり、彼女の下着をどろりと汚した。
「んっ……」
 精液をかけられた瞬間、チータはびくりと顔を反らした。生暖かい液体が鎖骨を伝うが、彼女は何も言わず、相変わらずぼんやりとした表情で下着に飛び散った液体をみつめていた。
 ロデュウは達した余韻に浸りながら、精液に汚れたチータの姿に見入っていた。自分のもので汚したのだと思うと、頭の奥が痺れるような征服感が込み上げてくる。

「……これで終わり?」
 少しの間を置いて、チータがポツリと呟く。
「いや、まだだ」
 ロデュウは、ここまで来たらもう最後までしてしまおうと、開き直っていた。口淫で煽られたことで、完全に引く気は無くなっていた。
 チータの上体を起こし、彼女の上半身を覆う下着を引き上げて脱がせる。続けて、彼女を押してベッドに横たえ、素早く残りの下着にも手をかけて取り去った。チータはされるがままで特に抵抗もせず、何も身につけていない状態になる。
 ロデュウは自身も衣服をすべて脱ぎ去り、彼女の両足の間に割って入り、彼女の下腹部にむけて顔を寄せた。
「ちょっと……!」
 彼が何をしようとしているのか察したチータが、彼の肩口を抑えてそれを制止しようとする。ロデュウはチータの抵抗をものともせず、彼女の両足を両手で抱えあげた。そして、彼女の秘部の芽を舌でべろりと舐め上げる。
「あぁっ!」
 びくんと背中を反らせて、チータは一際高い嬌声を上げる。腰を捩らせて愛撫から逃げようとする彼女を抑えつけて、彼は彼女の秘部を舌で舐って刺激を与え続ける。
「やっ、あぁ!……んっ……やめっ……あぁ!」
 敏感な芽を彼の舌先が擽る度に、チータの腰が跳ね上がり、秘部が濡れそぼっていく。段々と溢れてくる愛液を啜ってやると、彼女は体を跳ね上げて声を上げ、ロデュウの嗜虐心をくすぐった。
 そうして、舌を使った愛撫を暫く続けると、いつしかチータは抵抗を止めて、か細い声を上げながらぐったりと横たわるだけになった。白い肌は血の色が薄く透けるように紅潮し、全身がしっとりと汗で湿っていた。
 チータの様子を見て、もう十分だろうとロデュウは愛撫を止め、上体を移動させて彼女に覆いかぶさる。そして、彼女の秘部に、固く屹立したものの先端をぴたりと付け、押し進めていく。
「あっ……あぁっ、んっ……!」
「うっ、はぁ……!」
 濡れそぼったそれは、入り口の少しの抵抗の後、すんなりと彼のものを受け入れた。屹立が締め付けられる快感を味わいながら、ロデュウはすぐに抽送を始めた。
「あぁ!ぁんっ、んっ、んあぁ!あっ……!」
 最奥を突かれて、チータは甘い嬌声を上げる。腰の奥から背筋へ伝わる快感に、彼女はぞくぞくと体を震わせた。
 シーツを掴み、熱に浮かされたような目で喘ぎ声を上げる彼女に、ロデュウはより劣情を煽られた。欲するままに、チータを抱く悦楽に酔いしれる。湿って吸い付いてくるような肌を撫で回し、うなじから発される甘く痺れるような匂いを嗅いで、彼女を堪能する。
 その時、ふと昨夜のことを思い出し、あの男もこの姿を見たのだろうか、という考えが浮かんだ。その瞬間に、彼の中でドス黒い感情が湧き上がった。先程まで、単純に快楽だけに集中していた意識に、嫉妬と怒りの感情が混ざり合わさっていく。しばらく忘れていた、苛立ちの根源を思い出し、ロデュウは衝動的に彼女の首筋に牙を立てて噛み付いた。
「いっ……!?」
 突然首筋を走った痛みに、チータは短い悲鳴を上げた。彼女の悲鳴を耳にしたロデュウは、はっと我に返って彼女の首筋に突き立てていた牙を離す。
「な……なに……?」
 困惑するチータの問いかけに、彼は答えない。ただ呆然と、自分が今しがた付けた噛み跡を見つめていた。
 チータの白い肌に、牙の跡が赤く、点々と残っている。
 その噛み跡を見ていると、まるで彼女に自分の印を付けたような思いがして、湧き上がった凶暴な感情が少しずつ引いていくのを感じた。
「ロデュウ……?」
 チータに再び呼びかけられるが、相変わらずロデュウはいつになくぼんやりとした表情をしたまま、答えることはない。代わりに小さく溜息をつき、彼女の肩口に顔を埋めて、彼女を抱きしめる。そして、彼に似合わず力ない声で呟いた。
「悪かった……」
 ここに来て、彼は初めて自分の苛立ちの原因を自覚した。昨晩、チータの口からあの男の名を聞いて、自分がどうしようもなく不愉快だったのは、彼女の中に未だあの男の跡があるのだと知ったからだ。
 そんな理由が元で、こんな関係を壊すような行為に出てしまった自分に、嫌気が差していた。
 チータの肩口に顔を埋めながら、ロデュウが自分の幼稚さに呆れ果てていると、彼女の方から彼の背に腕を回して抱きしめ返してきた。彼の背中を流れる黒髪と、そこから生えている翼を撫で、彼の耳元へ口づけを落とした。ロデュウは、まるで彼女に慰められているようで、落ち着かない気持ちになる。
「ロデュウ……続けて」
 彼の耳元で、チータが甘い声で囁く。彼女の片手が、半分固さを失っていた彼のものに添えられて、誘うようにその先端を撫でた。柔らかい指先が裏筋をなぞり、茎の部分を手のひらで包んで上下に擦ると、彼女の手の中で彼のものが昂りを取り戻していく。
「チー、タ……!」
 滑らかな手によって与えられる刺激に、ロデュウは戸惑いながら、呼吸を乱す。
 そして、それが十分な固さを取り戻した頃、彼は云われるままに、再び彼女の秘部に猛った自身のものを突きつけて、挿入した。
 チータは、中を押し広げられる圧迫感と待ち望んだ快感に体を震わせた。自然に、彼の背中に回した腕に力がこもる。チータに強く抱きしめられたロデュウは、何かが満たされるような感覚を感じながら、彼女の最奥を突き始めた。
 彼の腰使いは、先程よりも遠慮がなくなっており、もっと、より強くチータを感じようとしていた。彼女のしなやかな体をかき抱き、首筋の噛み跡を唇で食んで刺激する。
「あっ、あっ、はぁっ……!」
 全身に薄く汗を浮かび上がらせながら、チータは与えられる刺激による快楽に、声を上げた。雁首で最奥を擦り上げるように突かれると、腰の奥から快感が込み上げる感覚に、背中を反らせて高い呻き声を上げる。彼に抱かれる愉悦を全身に浴びて、彼女は恍惚とした表情を浮かべていた。
 ロデュウがチータの肩口から顔をあげると、彼女の快楽に蕩けきった顔と、その首筋に浮かぶ赤い噛み跡が視界に入った。自分の腕の中の光景に、彼は頭の奥が痺れる程に興奮していた。欲するままに、湿った息を漏らす彼女に口づけをして、舌を差し入れて、その唇を貪る。差し入れられた舌に、チータも自分の舌を絡め、互いの唾液が混じり合う。
 悪辣な過程で始まったと忘れてしまうほどに、甘く激しい交わりに二人は夢中になっていた。いつの間にか結合部は蜜に溢れ、動く度に淫猥な水音を立てている。
「はぁ、あっ、あぁ!……くるっ……ロデュウっ……!」
 チータの肢体が強張って震え、絶頂が近いことを知らせる。彼は達しようとしている彼女に、一層激しく腰を打ち付けた。
「うぁっ、あぁっ、んっ……あぁぁ!」
 腰の奥に溜まった悦楽が弾けて、全身に広がる。チータの背筋に快感の波が走り、ロデュウの肩にしがみついて、彼女はその悦楽に体を震わせた。
 チータが達したと同時に、彼女の秘部がきゅうと締まり、ロデュウのものを強く締め付けた。
「あぁっ、ヤバい……チータっ……!」
 既に十分な刺激を与えられていた彼の男茎は、その締め付けによって限界に達した。
 ロデュウは、達する寸前でチータの中から自分のものを引き抜き、彼女の腹部へ精を吐き出した。生暖かい液体が、彼女の腹の上にぱたぱたと飛び散り、肌を汚していく。
「はぁ……あぁ……」
 射精の余韻に呼吸を乱しながら、すべてを出し切った彼は、チータの横にどさりと横たわる。ぬるい空気が部屋を満たし、二人の荒い息だけが部屋に響く。達した後の倦怠感を感じながら、ロデュウは満ち足りた気分で天井を見つめていた。

 しばらくして、呼吸が落ち着いた頃にむくりとチータが起き上がった。無言でベッドから降り、床の上に放られた下着と寝間着を拾い、寝室のドアへ向かっていく。
「どこいくんだよ」
「シャワー浴びてくる」
 ロデュウの問いにそう素っ気なく返した彼女は、ドアを開けて寝室を出ていった。廊下を歩き階段を降りる足音が聞こえ、少ししてから浴室でシャワーを流す水音が聞こえてきた。
 遠くの水音を聞きながら、行為の余韻が抜け冷静になったロデュウは、改めてとんでもない行為をしてしまった、と思った。売り言葉に買い言葉でお互い意地を張り合っていたと思っていたが、いま思い返せば途中途中で彼女に焚き付けられて、誘導されていた気もする。
 チータはどう思っているのだろうかと、不安がよぎる。
 素っ気なく、何を考えているのか分からない先程の彼女の様子は、いつも通りではあるが、事が事なのでどうにも心に引っかかってしまう。
(あれこれ考えても、仕方ねえか……)
 してしまったことは今更どうすることも出来ないと、彼は彼女の思考を類推するのを止めた。チータが何を考えているかは、彼女に聞くか様子を見るかしない限り分かりはしない。
 そう考えた彼は、彼女が帰ってくるまで大人しく待つことにした。

 ロデュウが思っていたよりも早く、チータは帰ってきた。
 新しい下着を身につけて、出ていったときと同じように無言で部屋に入ったかと思うと、ベッドに上がってロデュウに背を向け、彼の隣で横になった。
「おい、チータ」
「なに?」
 声をかけても彼女は振り返らず、気怠げな声のみが返ってきた。
「大丈夫か?」
「……別に、なんともないわ。少し疲れただけ」
「……」
 いつもと同じ口調で彼女は答えた。下着姿であることを除けば、あまりにいつも通り過ぎて、先程の行為は夢だったのではないかと思えるほどだった。
 あんなにも激しく絡み合ったというのに、いまは二人の間にその熱はなく、気怠い雰囲気のみが漂っている。あんな行為をしておいて、今まで通りの関係であるということのほうが異常に思えたが、とりあえずチータとの関係が大きく拗れることはないと判断して、ロデュウは安堵した。
(本当に、何考えてんのかわかんねー女だな)
 彼はまた、彼女のうなじを見つめながら溜息を吐いた。

 心地よい気だるさの中で、ロデュウはなんとなくチータの髪に手を伸ばして、指先でその毛先を弄ぶ。くるくると髪を指に巻き付けて遊んでいると、ごろりとチータが寝返りを打って、彼の方を向いた。
「なに?」
「いや、別に……」
 特に意味があってやっていたことじゃない、と返そうとして、彼はふと浮かんだ疑問を口にする。
「アイツがなんて言ってたかとか、俺に聞かねーのか」
 チータは少し間を置いて、いつもの湖面のような碧い瞳でロデュウを見つめながら答えた。
「聞かなくていい、知らなくていいから」
 彼女の答えを聞いて、確かに別に伝えるべきことはない、と彼も思った。

「疲れた……少し、寝るわ」
 会話する中、ウトウトと眠気に誘われたチータは、彼と向き合ったまま瞼を閉じる。
「俺が隣で寝てるときに暴れんなよ」
「それは、約束できないわね」
 ふっ、とチータが微かに笑ったのを見て、ロデュウも口の端を上げて笑った。
 そして、彼女の寝顔を眺めるうちに、彼も久々に眠りに落ちた。

 その日以降、彼女があの悪夢を見ることはなかった。

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