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有翼とサロメ

「向かってくるぞ!」
 地上から二人を追っていた魔物が、パートナーに向けて叫ぶ。あの翼の魔物が着地した地点から、魔物の近づく気配がある。彼らは今、一人と一体で行動していた。あの翼の魔物に放り投げられ、術の直撃を受けた魔物はどこに落ちているかわからず、彼を探しに行ったパートナーも未だ合流できていない。
「クソ!なんでこんなことに……!」
 相手が向かってくるということは、こちらに余力が残っていないと見抜かれているからだ。有利な状況から仕掛けたはずが、いまや追い詰められる側に回っている。苛立ちを抑えきれない様子の魔物へ、パートナーは「落ち着け、とにかく今は備えろ」となだめる。
 木々の狭間から姿を視認した瞬間に、翼の魔物が術を放った。魔物はパートナーを引っ張って横に飛んで回避する。ごろごろと転がりながら、なんとか体制を立て直す。術の放たれた位置を見やると、翼の魔物の傍に、あの女のパートナーが控えている。
「は、逃げ回らなくていいのかよ!」
「抜かせ!殆ど力も残ってねーのに粋がってんじゃねぇよ!」
 翼の魔物が地面を蹴って迫り、二体の魔物が組み合った。

 チータは組み合う二体を注視し、術を放つタイミングを探っていた。敵方はもう術を使う力に余力がないのか、確実に当てられるタイミングを狙って出し惜しみしている。あと1体が、どこにいるのか分からないことが懸念ではあるが、魔物が近づく気配があればロデュウが気づくはずだ。明らかに形勢は逆転している。
 とにかく今はあの魔物を倒すことが先決だと、ロデュウが翼を構えるのに合わせて呪文を唱えようとした瞬間、
「がっ……!?」
 後頭部を強く打つ衝撃に、地面に崩れ落ちた。意識が飛びそうになりながらも、なんとか首を捻って彼女の背後に立つ相手を確認する。そこには、ロデュウが放り投げた魔物の本の持ち主である男が、太い木の枝を棍棒のように携えていた。
(まさか、人間だけで突っ込んでくるなんて……!)
 目の前の戦いに集中していて、接近されていることに気づけなかった。立ち上がって逃げようとした彼女に、もう一撃加えようと男が片腕を振り上げる。振りかぶる男の影が彼女の顔に落ち、彼女の脳裏で、顔の傷を受けた時の記憶が蘇り、目の前の光景と重なる。
 彼女の心を打ち砕いてしまった、あの日の暗い室内に戻ったような感覚が彼女を襲い、心の底から湧き上がる恐怖に体が硬直する。
 彼女の様子に気づいたロデュウが戻ろうとするが、本の持ち主の男の背後からもう一体の魔物が飛び出し、目の前に立ちふさがる。舌打ちをして、魔物と組み合いながら、彼は叫んだ。
「チータァ!」
 自分を呼ぶ声に、混乱の中にあった彼女の意識が現実に引き戻される。幻影が消え、輪郭がおぼろげになっていた目の前の光景が鮮明になる。
 振り下ろされた一撃を背中に受けて、チータは再び倒れこむ。痛みに耐えながら、いま自分はあの暗い室内にいるのではないと自身に言い聞かせて、必死に頭を巡らせる。背中がひどく痛むものの、意識ははっきりとしていた。すぐさま立ち上がることは出来ないと判断した彼女は、せめて本を取られないよう強く握りしめて体の内側に隠す。男は本を奪おうと、彼女の横腹を蹴りあげた。
「がはッ!」
 チータの体が浮いて横倒しになるが、すぐさま地面にうずくまり、再び体で本を庇う。
「この野郎がッ!」
 組み合っていた魔物を投げ捨て、妨害を振り切ったロデュウはチータを打ちのめしていた本の持ち主へ突進する。そのまま殴り飛ばそうとした直前に、もう片方の魔物の本の持ち主が呪文を唱え、放たれた術がロデュウを弾き飛ばした。
(ロデュウ!)
 チータは声にならない叫びをあげる。呪文を唱えなくては、と声を出そうとするが、息が詰まって呪文を紡げない。なんとか身を起こして、腹が痛むのを無視して息を吸い込むと、さらなる痛みが襲い呼吸が散り散りになる。焦燥感とともに、頭へ血が巡るのを感じていた。先ほどの恐怖から一転して、悔しさと怒りが体の芯から湧き上がってくる。
「もらったァ!」
 チャンスとばかりに、魔物が攻撃体制に入る。ロデュウが起き上がるのを視界の端に捉えたチータは、彼が翼を構えるの待った。たとえどんな痛みが襲おうとも、必ず呪文を唱えきるつもりだった。しかし、彼は構えず魔物の放った術の前に立ちふさがり、庇うように彼女へ覆いかぶさった。彼の行動に、チータは目を見開く。
「ぐっ……おぉぉ!」
 背中に直撃を受けて苦痛の声を上げるも、なんとか持ちこたえた彼は、チータを抱えて飛翔した。
「追うぞ!」
 ロデュウへの一撃を加えた魔物が、彼らが飛び去った方向へ駆け出そうとする。
「おい、もう力が殆ど……」
 先を急ごうとする彼をパートナーが呼び止めると、彼は不機嫌そうに舌打ちをした。振り返り、片割れの魔物に「お前らは」と聞くと「あと一発くらいだ」と、その本の持ち主が答える。
「………まあいい、どうせ本の持ち主があれじゃ、まともに反撃もできないだろう」
 あと一度しか呪文は使えない状態であっても、最後の力を込めた一撃で打ち合って押し切ってしまえば良い。
「これで決めるぞ」
 気がつけば日は傾き、夕暮れ時に差しかかろうとしている。
 予想外に苦戦した戦いも、もうすぐ終わる。

 日が翳り始めた森は、木々の影が長く伸び、気温が急激に下がって行く。地上へ降り立ったロデュウは、抱えていたチータを苔むした岩陰に横たえる。背中が岩肌に触れた瞬間、彼女は「うっ」と呻いて苦悶の表情を浮かべた。後頭部の皮膚が切れているのか、金色の髪の根元から血が滲んでいる。彼は、どうするべきか迷っていた。彼ら魔物と比べて、人間は遥かに脆い体をしている。ましてや女だ。下手をするとすぐに死んでしまう気がして、加減がわからない。森で出会った時も、冷たくなっていく彼女に、このまま死ぬのではないかと気が気ではなかった。
 ロデュウ自身もダメージが大きく、一度に長く飛べなかったため、敵からはそう離れられていない。追いつかれるもの時間の問題だ。判断を急がなくてはいけない。
「どうして……」
 力なく、岩にもたれ掛かっていた彼女が声を発した。
「どうして、逃げたの……」
「………はぁぁ?」
 一瞬、彼女が何を言っているのか理解が遅れた彼は、眉間にしわを寄せ思わず大声を上げた。
「お前がヤバそうだから引いたんだろうが!」
 彼自身、耐え難い屈辱感に耐えてチータの身を優先したのだ。本来、他人対する気遣いなどとは無縁の彼からすれば、彼女に対してどれだけの特別待遇をしていると思っているのか。
「…………」
 それでも彼女は不服な様子で、それがなんだというのか、とでも言いたげな目で彼を睨みつけている。チータの訳のわからない言動に、こんな状況でなければ一発殴ってやるのにと、ロデュウは苛立ちを募らせる。身体的に追い詰められているからか、普段の彼女と比べて明らかに様子がおかしい。
 今まで彼女の静かな湖面のようだった瞳の奥に、目の色が変わってまうほどの熱が宿っていた。
 冷静さを失うほどの怒りを抱え、なぜ逃げたのかと彼に問うている。彼が感じているのと同じ程の、屈辱感と怒りを、彼女も持っているのを、ロデュウは感じ取った。
 これが彼女の本性なのだと悟り、この不利な状況下にも関わらず、彼は胸が踊った。どういうわけかこの女は、普段は人形のように取り澄ましているか、腑抜けた態度をとる癖に、本来は激情を抱える女なのだ。

 背後から魔物の気配が近づいていた。2体の魔物がひと塊りになって、彼らのいる場所へまっすぐと向かってきている。
「ロデュウ」
 敵の接近に気がついたチータが、彼から視線を外して物音のする方を睨みつける。彼女の持つ本が、一際強い光を放っていた。
「うるせぇな、わかってるよ」
 振り返り、ロデュウは翼を構える。
 張り詰めた空気が、辺りを満たしている。これで勝負が決するのだと、この場の誰もが感じ取っていた。
 会敵した瞬間、本の持ち主達は同時に呪文を唱えた。夕暮れの森で、術同士がぶつかり合い木々をなぎ倒す。
「ぐっ……」
 両手を前にして術の反動に耐えていた魔物は、額に汗を滲ませる。翼の魔物が放った術は、衝突の後も勢いを失っていない。こちらの攻撃を押し返し、どんどんと衝突点が目の前に迫ってくる。
 ついに押し負け、魔物は本の持ち主共々、漆黒のエネルギー波の中に飲まれた。彼の本の端に火がつき、燃え上がる。
「く、くそぉぉ!!」
 断末魔の叫びを上げながら、エネルギーの波に押され、後方へ吹き飛ばされていった。

 敵方の術を打ち抜き、完全に消しとばしたことを確認したチータは、力の放出を終えた。ばさり、と翼を仰ぐ音がして横を向くと、勝利の確信に薄ら笑いを浮かべたロデュウが土煙の中を注意深く観察している。
 風が吹き、もやが取り去られ視界が開ける。二体の魔物と一人の人間が、ところどころ抉られた地面に横たわっていた。男の傍に落ちている本が燃えている。その本が燃え尽きるのに合わせ、片方の魔物の姿は透けていき、やがて消えた。
 一人いない、とチータが周囲に警戒を向ける。一人と一体が倒れている場所から少し離れた位置に、本を抱えた男が座り込んでいた。直撃を免れたのか、無事だったらしい。
「あ、あ……あぁ……」
 男は完全に戦意を喪失した様子で、彼らの視線が自分に向けられていることに気づくと、弾かれるように本を抱えてその場から逃げ出した。
 彼女は、倒木につまづきながらも必死に走る男の姿を見て、敗走する背中とはこんなにも無防備なものなのか、と思った。横を見やると、ロデュウと目があった。彼はニヤリと笑った後、逃げる男の背に向けて、ゆっくりと翼を構えた。
 チータも前を向き、本に光が灯る。あの怒りの渦の中でも、なんとなく彼がこうしたがる気がして、余力を残していた。男が足を滑らせ転倒する。身を起こしながら、怯えた表情で振り向いた時、彼女は呪文を唱えた。

 室内に規則的なミシンの音が鳴り響いている。彼女の白い手が布を繰り、布地が衣服へと形を成していく。手際よく縫製の仕事を進めていたチータは、次の納品には間に合うだろうと見通しが付いたところで手を止めた。軽く溜息を吐いて、両腕を上げ伸びをする。
「終わったのか?」
 暇を持て余していたロデュウは、ダイニングテーブルに頬杖を付いている。
「まだよ、でももう終わるわ」
 彼女は作業台を離れ、休憩にコーヒーでも淹れようとの準備を始める。

 森での戦闘の後、彼女は怪我のために数日寝込むこととなった。現在は寝ている間に溜まった仕事を進めている最中であった。
「本当、クビにされなくて良かったわ」
「俺のおかげだな」
「………」
 得意げに椅子にもたれかかる彼を、彼女は少し呆れ気味に見つめる。
 彼女が寝込んでいる間、彼は仕事の催促に来た雇い主を追い払ったり、クビにするようなことがあればタダではおかないと脅しつけていたらしい。彼女はそのことをベッドから起き上がった後に知らされ、余計なことをしてくれたと初めは怒っていた。
「………そうかもね」
 だが事実、回復に専念でき仕事も失わずに済んだのは彼のおかげかもしれないと思い直し始めている。これが彼のやり方なのだ。相手の慈悲に縋るようなことは、決してしない。
「ロデュウ」
「あん?」
「くだらない話かもしれないんだけど、聞いてくれる?」
 水を溜めたケトルを火に掛け、彼女は彼の向かいの椅子に座り、話し始める。
 ただなんとなく、この話について、彼がどういう反応をするのかを知りたかった。
「貴方とあの森で出会った時、私が森に居た理由は―――」


 一通りの成り行きを聞き、ロデュウは嘲笑した。
「日和ったのかよ。情けねぇな」
 馬鹿にし切った彼の態度に、チータはむっとした様子で言い返す。
「殴っていたら刑務所行きよ。今頃、貴方の戦いに協力するどころじゃないわ」
「んなもんどうにでもなるだろうが」
 お前にはあの本と俺が居るんだぜ、と云う彼に、彼女は肘をついて溜息を吐いた。
「悪党」
 とチータが呟くと、ロデュウは口の端をあげて笑った。
「上等だよ」
 つり上がった口から、鋭い牙が覗いている。
 こいつはとんでもない暴君になるな、と彼女は思った。とても国なんて治められそうにない。
(けれど……)
 けれど、もしも破滅に向かったとしても、きっと彼は後悔などしないのだろう。
 思うままに、傍若無人に、なんの庇護も後ろ盾も必要とせず、好き勝手に振舞って、その果てにあるものを全て飲み込んでいく。
 羨ましい、と思った。憧れてしまっているのを、彼女は否定できない。あの道端と、あの森で、男たちや魔物を相手に嬉々として戦いに臨む彼の姿を、彼女は見ていたいと思っていた。
「そうなっていたとして、貴方が魔界に帰った後はどうしてくれるのよ」
「………お前も魔界にくればいい」
 ロデュウの意外な提案に、彼女は思わず吹き出した。
「魔界にも内職の仕事あるかしら」
 チータにしては珍しく、声が弾んでいた。いつもは引き結ばれている唇も僅かに口角が上がり、目を細めて手にとったマグカップを見つめている。彼女にとって、こうして空想の未来を誰かと話し合うのは久しぶりだった。
「俺が王になりゃ、そんなことしなくても好き勝手出来るようにしてやるよ」
 珍しく楽しげな彼女につられるように、ロデュウも上機嫌に語らう。
「どうやって?妃にでもしてくれるの?」
 すっかり口の軽くなった彼女の冗談に、彼は飲みかけていたコーヒーを吹く。ロデュウの意外な反応に、チータは顔を上げて目を丸くする。
 むせ返り、口を拭う彼と目が合たところで、彼女は堪えきれないといった様子で笑い出した。
「お、お前が変なこと言うからだろうが!」
 ロデュウは取り乱し、ダイニングテーブルを強く叩く。
「ごめんなさい……だって、あんな……」
 謝りながらも、チータは口元を押さえて肩を震わせている。
「あーあー、何かと思ったらくっだらねぇ話だったな!」
 彼は顔が熱くなるのを誤魔化すように、椅子にもたれ、天井に向けて大声をあげた。
 チータは少しの間笑い続け、それが収まるとテーブルにマグカップを置いた。
「そろそろ、仕事に戻るわ」
「おーおー、さっさと終わらせてこい」
 ロデュウは天井を見上げたまま、手のひらで追い払うようなジェスチャーをした。そんな彼を、チータはまたくすりと笑った後、立ち上がって作業台へ向かう。
 コーヒーの香りが立ち込める室内で、再びミシンの規則的な音が鳴り始めた。

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